真面目なノート

こまめにその日の進捗などをメモしておく。

長い一日

勉強とか

神学(宗教改革とそれ以降)

この時代において西方キリスト教はヨーロッパ外へと拡大した。このことは現代においても神学的に非常に重要な出来事である。
宗教改革は単なる教理の改革という領域を超えて、社会的、政治的問題にも触れるものであり、また地域によって異なる問題を取り上げていた。

用語解説

ルター派宗教改革

マルティン・ルターによる宗教改革のことである。

もともとは学問上の運動で、ヴィッテンブルグ大学における学問上のある教えを改革しようとするものであったが、これは大きな注目を集めなかった。
この改革がより広く認められるようになったのはルターの個人的な活動、特に贖宥状販売への抗議である「九十五箇条の提題」による。

ルターの改革は比較的保守的であり、カルヴァンのような共和制に傾いていた改革派の思想家からすると魅力に乏しかったこともあり、根付くことはなかった。

カルヴァン主義宗教改革

改革派教会を生み出した改革であり、その起源は教会の道徳と礼拝をより聖書に即した形で改革しようとする試みにあった。
このような様式の改革を具体的なものにしたのはカルヴァンであるとはいえ、その機嫌はそれ以前の改革者たちに遡る。
この改革の展開を確固たるものにしたのが1559年のジュネーヴ・アカデミーの設立であり、ここでは改革派牧師の養成がなされた。

宗教改革急進派(アナバプテスト)

「アナバプテスト」は「再洗礼派」という意味である。これはアナバプテストの「責任ある個人として公に信仰を告白するものにだけ洗礼は授けられる」という主張に触れている。
アナバプテストたちは「聖書のみ」という原理の徹底化を主張した。彼らの運動に属する流れに共通する特徴は以下の様なものである。

  • 外敵権威への一般的不信
  • 成人洗礼を支持し、幼児洗礼を否定する
  • 財産の共有
  • 平和主義と無抵抗の強調

カトリック宗教改革

この言葉はしばしばトレント公会議に続く時期に起こったローマ・カトリック教会内での信仰の復興を指す。
ローマ・カトリック教会プロテスタント宗教改革の影響を食い止めるために行ったものであり、その一部としてプロテスタントからの批判の根拠を取り除くための改革も行っていた。

主要な神学者

マルティン・ルター

  • 「九十五箇条の提題」
    • 1517年
    • スコラ主義の徹底的な批判
  • 「教会のバビロン捕囚」
    • 福音と制度的教会の主従の逆転を指摘

ジャン・カルヴァン

体系的神学の重要性を理解する宗教改革第二期の重要人物。
カルヴァンの神学体型の構成を支配する唯一の原理は聖書に忠実でありながら最大限明瞭な論述をしようとする関心である。
一度ジュネーヴを追放されストラスブールに逃れたカルヴァンは、ストラスブールでのマルティン・プツァーとの交友や、実践的な問題への対処経験などを積み、再度ジュネーヴに帰ってからはジュネーヴを国際的な運動の中心地とした。

フルドリッヒ・ツヴィングリ

スイスの宗教改革者。エラスムスの著作を重要視し、特にサクラメント論を批判した。
ツヴィングリ主義という言葉は主に、聖餐はキリストの死の記念であって、キリストが聖餐に臨在しているのではないという信仰を指す。

主要な神学的発展

神学の資料

聖書への回帰の必要性を解く「聖書のみ(sola scriptura)」という標語が特色となった。
ここから、次のような結果が生まれた。

  • 聖書に基づいていることが証明できない信仰の事柄は排除されるか、拘束力のないものとされた。
  • 教会における聖書の公式の位置が新たに強調されるようになった。

恩恵論

マルティン・ルターの信仰義認の教理が大きな注目を集めた。
この教理に関わる問題は複雑であり、本著の後半で再び論ぜられる。
カルヴァンはこの教理を重んじながらも、恵みを義認論よりも予定論との関係で論じるという、後の改革は神学で重要になる傾向を生み出した。

サクラメント

改革者とカトリックの間でサクラメントの数と本質について激しい議論がなされ、またルターとツヴィングリの間では、聖餐にキリストが本当に現臨しているのかどうかを巡って激しい論争が繰り広げられた。

教会論

カトリック教会の主流派から別れた改革者たちはこの分裂を正当化する必要を強く感じるようになった。
マルティン・プツァーとジャン・カルヴァンによるプロテスタントの教会理解はそれ以後の、世界規模でのキリスト教において次第に重要になってくる。

神学的文書の発展

信仰問答

一問一答形式の文書で、多くの牧師とほとんど全ての信徒がキリスト教の基本的な教理を理解していない現実に直面し、基本的な教えについての知識を増す目的で作られたものである。
ルターの「小教理問答」は信仰教育を目的として書かれ、広く受けいられた。
また、プロテスタントにおいて用いられた信仰問答の効果の重大さのために、カトリック教会も信仰問答を展開することになった。

信仰告白

宗教改革は聖書の権威を非常に強調したが、それでも聖書は解釈されねばならない。
そのような状況において信仰告白宗教改革の理念を提示する文書としての役割を果たした。

俗権提携型の宗教改革は聖書の権威を強調する一方で「伝統」の役割も認めていた。彼らは一般に権威について三つのレベルを想定してリ、その中での信仰告白の位置づけは次のようになる。

  1. 聖書
    最高の権威を持つ。
  2. 信条
    聖書の精確で権威ある解釈。
  3. 信仰告白
    ある集団においてのみ権威をもつもの。

宗教改革以降の動き

宗教改革に続く時代には、プロテスタントカトリックもそれぞれの運動内部での思想の定着化が起こった。

  • プロテスタント
    • 正統主義と呼ばれる時代の幕開け。
    • 教理の規準や定義の強調が特徴
  • ピューリタニズム
    • 上記の特徴には同情的
    • しかし霊的・牧会的適用を遥かに重視
  • 敬虔主義
    • 上記の特徴に敵対的。
    • 「生きた信仰」の必要性を曖昧にする。
    • プロテスタントを異端とみなした。

プロテスタント正統主義

宗教改革の後、その成果を守るべくスコラ主義的な神学がしばらく発展する。
宗教改革者たちの洞察を体系化することが重視された。
カルヴァン自体はアリストテレスに対して若干の疑いを抱いていたものの、カルヴァン主義者たちはより合理的な基盤をアリストテレスの方法論から得ようとした。
結果として、次のような特徴をもつ神学が発展していく。

  • キリスト教神学における人間理性の役割が大きくなった。
  • キリスト教神学を論理的に一貫した体型として提示する。三段論法を用いた。
  • 神学はアリストテレス的手法に基づいていると理解されるようになった。
  • 形而上学的・思弁的問題に向かうようになった。

プロテスタントの発展は当時の社会情勢とも関わりながら非常に複雑な様相を呈している。

ローマ・カトリック教会

教父時代からのカトリックの教えの不変性が強調されるようになる。
この不変性がプロテスタントに対するカトリックの論争において重要な要素となった。

ピューリタニズム

キリスト教信仰の経験的・牧会的側面を特に強調する改革は正統主義の一種。
十七世紀初頭イングランドの大きな勢力であったが、チャールズ一世の抑圧的宗教改革によって多くのピューリタンたちが北アメリカに移住したことから、主たる発展は新世界において行われた。
特にキリスト教的敬虔の問題との関連で経験主義との親近性を持つ。

敬虔主義

プロテスタント主流派における、「論理的な精密さへの学問的な集中」に伴う「神学と日常生活との関連付けに対する関心の薄さ」という問題に対して、日々の信仰生活にとってのキリスト教の教理の重要性を強調することを重んじた考え方。

雑記

ドラえもんの長い一日

2009年のドラえもん誕生日スペシャルで放送された「ドラえもんの長い一日」が、久しぶりに観返すと半端無く面白かった。
ストーリーは凶悪犯ロボットであるデンジャとドラえもんが入れかえロープで入れ替わってしまい、ドラえもんは元の体に戻ろうと奮闘する一方、デンジャはのび太との温かい生活で心を取り戻していく、という結構ありきたりなものになっている。
しかしデンジャというキャラクターの描き方が圧巻というか、思い切っている。
まず登場シーンで銀行にビーム砲をぶち込んで炎上させている。その後も警察とカーチェイスを繰り広げ事故を起こすわ、搬送されたロボット病院でドラえもんと入れ替わるわでやりたい放題である。「凶悪犯ロボット」という設定に恥じない活躍を見せてくれる。
また、このデンジャ、本人が語る限りでは「なんの目的も無く、ただ世の中を騒がせてやれっていう最低の野郎」であり、過去のお涙頂戴エピソードなどという不要なものは本編に一切挟まれない。当然「凶悪犯ロボット」なんてものをわざわざ作る工場があるとも思えず、のび太の「このロボットだって、何か、誰かのために作られたはずだよ。こんなことしたくないんじゃないかな」という言葉にデンジャが激昂していることから、過去に何かがあったことは想像できるが、クドクドと描写しない。最高である。

長ったらしい過去を描写する代わりに、デンジャというキャラクターは彼の振る舞いによって描かれる。
自分の体を取り戻しに来たドラえもんに対して容赦なく空気砲の連射を浴びせ、のび太を利用してまで叩きのめす非情な一面や、のび太に自分の得意な野球を教える兄貴肌のある一面も描かれ、今回限りのゲストキャラとは思えないほどキャラが立っている。 そしてクライマックスで、ドラえもんとデンジャの決戦が描かれる。デンジャはここでも違法改造した三連結空気砲の連射を何の容赦もなく浴びせ、また未来警察を呼ぶことでドラえもんを追い詰める。しかし、のび太に正体がバレた時に潔く投降したところを見るに、彼なりに思うところがあったのかもしれない。

この、もう半分改心しているにも関わらず戦闘において一瞬も手を抜かない容赦の無さ。
決着がついたら投降する潔さ。これら全てが相まって、とても魅力的なキャラクターとなったデンジャであった。

無駄な描写を排することでキャラクターをより表情豊かに描写しており、物語としても完成度の高い回だったと思う。
なぜ誕生日スペシャルよりも予算のある劇場版でこれよりはるかにつまらない作品があるのかと思うと、微妙な気持ちにもなった。

やる気おきない

やる気が起きないんだ。しかたないね。(・_・)